経営理念
「何よりお客様重視で長く愛される本物志向の商品造り。」
100年企業として、お客様を想い、これまでも、これからも、安心・安全な商品をお届けします。
「宮平乳業ブランド」を発信、地域活性化に貢献し、「地産ブランド」としても確立し、地域と共に、素材と技術にこだわる会社であり続けます。
会社案内
願いは地域と共に、素材と技術にこだわる牛乳屋さん
会社名 | 株式会社 宮平乳業 |
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代表取締役 | 宮平 隆一 |
所在地 | 〒901-0306 沖縄県糸満市西崎町4-15-6 |
TEL | 098-994-2768 |
創業 | 大正8年(1919年) |
資本金 | 4000万円 |
工場内訳 |
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業務内容 |
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沿革
大正 8年(1919年) | 創業開始 (初代代表者 宮平隆忠) |
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昭和25年(1950年) | 沖縄衛生公認第1号(琉球政府) (2代目代表者 宮平隆政) |
昭和58年(1983年) 6月 | 宮平隆雄 3代目代表に就任 |
平成元年(1989年) 1月 | 株式会社宮平乳業を設立 |
平成 7年 (1995年)5月 | 新社屋(工場)新築移転 |
平成 28年(2016年) 6月 | 宮平 隆一 4代目代表取締役に就任 |
ご挨拶
弊社は1919年北大東で創業し、100年を超える企業になりました。これも、沖縄県民の皆様に数多くある牛乳の中「宮平牛乳」をご愛飲いただきましたおかげです。
こだわり続けた「思い」はしっかりと残していきながら、飲料だけではなく新しい事にチャレンジしていきたいと思います。社員や周りの企業、地元の方々と一緒に、今の自分たちにしかできない事を楽しみながら、皆様に驚きと感動を与えられるような企業になるように精進して参りたいと思います
TOPインタビュー
Q:経営を引き継いでから大変な事はありましたか?
会社を継承してから、いろいろと大変でした。
当時は大変な事でしたが、結果的には優秀な人が入って来たり、辞めた社員が戻って来たりと、今はとても良い職場環境になって来ました。
Q:元々、このお仕事をしていたのでしょうか?
海に関わる仕事が好きで、以前はダイビングのインストラクターをしていました。慶良間諸島をメインに潜って、シーズンがオフの時には金属探知機を持って海底で調査する作業ダイバー等もやっていました。
沖縄の人は海に潜る事が少なく、ダイビング代も高く、気軽に潜る事ができません。どうしたら友人たちにこの海の美しさ、素晴らしさに気付いてもらえるか?を常に考えていました。地元の方がもっと気軽に、海と触れ合う事ができるようにしたいという思いを持っていました。
高校卒業後、すぐに海の仕事をして、仕事をしながら大学に通っていました。家業を継ぐ事になり、海の仕事を辞めて、宮平乳業へ入社する事になりました。
ダイビングの仕事での経験を活かし、宮平乳業で働く仲間、応援してくださるお客様と共に、良い会社の仕組みづくりを行っていきたいと思います。
Q:社内で新しい事をやりたい、という声があればどのように取り組んでいますか?また、今後やりたい事はありますか?
基本的には新しいアイディアは、積極的に応援していきたいです。
どうしたらそれが実現するのか?というのを一緒に考える事が好きです。
社員や周りの企業、地元の人たちと一緒に楽しい事が出来るような仕組みを作りたい。
ちなみにレッドブルさんのブランディングや取り組みにはとても共感しています。
ファンを作る為にはどうしたらいいのか?ブランド価値を上げるにはどうしたら良いのか?という事を常に考えています。
エンターテイメントがとても好きなので、そういうのを絡めながら新しい事をやっていきたい。
沖縄は良い意味で、怖いもの知らずで、挑戦できる人が多いのでエクストリームスポーツなども沖縄の人にマッチするのではなないかと思っています。エンターテイメントと組んで何かできないかと考案中です。
Q:100年続けてきた、その歴史に対しての思いなどはありますか?
100年企業でも、常に時代に沿った事業を行っていかなければならないので、常に今を大切にしています。
100年の歴史の中で、様々な困難に立ち向かい、乗り越えて継続して来た事には、とても感謝しています。
ただ、同じ事をやっていても長続きしないので、新しい事に、これからも挑戦していきたい。
驚きと感動を生み出していきたいです。
低温殺菌牛乳など、これまで支えられてきた代表的な商品に関しては、しっかりと残して続けられるように努めて参ります。
Q:今後どのような社長・企業にしていきたいですか?
周りの人達が楽しんでいるのを見るのが好きなので、人を輝かせながら裏方でサポートする役目になりたいです。
糸満の企業や地元が発展するために、地域の活動にも貢献していきたいと考えています。
不思議な話ですが、いつも困難な事があった時に、誰かがやって来てサポートしてくれました。
それは親父の代から続いているみたいです。
先祖が元々、地元の為、人の為にやってくれたからだと思います。
私達も何か社会に貢献できるような活動をしながら、色々な人と良好な関係を作っていきたい。宮平乳業を通じて、次の世代にも運が継続して繋がっていくような姿勢を常に意識していきたいと思っています。